◆青木線 1921〜1938 上田-青木 (上田-上田原は別所線として存続した為、廃止区間は上田原-青木) | |||||||||||
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◆ 上田原 | |
上田原駅。青木線はここから分岐して青木を目指していた。 上田交通(当時の上田丸子電鉄)が乗客減少による経営不安が高まった時、増資を行い東急グループに属するようになったのは、東京急行電鉄創立者の五島慶太氏が青木村出身者であった事が大きい。 2007年5月2日 |
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青木線の廃線時、当時の上田温泉電軌が代替バスの運行を始めたが、戦時中の統制下に現在の千曲バスに統合され、戦後上田丸子電鉄が乗合バス事業を復活した後も同路線が上電の元に戻ってくる事はなかった。 現在も千曲バスが青木線と同じルートを結んでいる。 2007年5月18日 |
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上田原-宮島間 青木線は国道143号線上を走る路面電車であった。 2007年5月2日 |
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小泉-白銀間 2007年5月2日 |
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出浦-当郷間
終点の青木はもうすぐ。 2007年5月2日 |
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青木線の旧殿戸駅近くにある「五島慶太翁記念公園」。 設置者は、東京急行電鉄。 2013年10月5日 |
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東急グループの事実上の創業者と言われる五島慶太の出身が青木村である事から設置された。 2013年10月5日 |
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比較的こじんまりした公園ですが、普段から誰でも入れるようになっているようです。 2013年10月5日 |
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東急事業団! 2013年10月5日 |
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◆ 青木 | |
現在はバスターミナルになっている青木駅跡。 2009年1月3日 |
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青木線が営業していた当時は、 ここから右折で道路上に出て、上田原まで走っていた。 2007年5月2日 |
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青木駅跡から上田方面を望む。 2009年1月3日 |
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バスターミナル内に掲出されている当時の青木駅の写真。 2009年1月3日 |
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バスターミナル内に掲出されている青木線開通時の写真。 2009年1月3日 |
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青木村民俗資料館に掲示された現役時代の青木駅の写真。 バスターミナルの写真と同じですね。 2013年10月5日 |
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写真の説明文です。 2013年10月5日 |
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上田電鉄タクシー 青木営業所。 (現在は閉鎖) 旧青木線 青木駅前にて 2002年2月17日 |
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