◆真田傍陽線 1927〜1972 上田-真田・傍陽 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
(Part5 本原分岐〜傍陽) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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■ 本原-傍陽ルート 本原で分岐してから傍陽駅まで | |
真田方面との分岐直後、線路は旧道と交差し傍陽方面へと下って行く。 2007年11月19日 |
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弓なりにカーブしているのが線路跡。 この写真の中央付近に、下の写真の橋台がある。 2007年11月19日 |
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本原で傍陽方向へ枝分かれしてからの最大の遺構が 本原-横尾間にあるこの橋台。 上田方向に向かって線路跡も健在。 2007年5月2日 |
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川の中には、橋脚の土台と思われる部分が現存。 2007年5月2日 |
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横尾駅跡。線路跡がそのまま道路になっている。 2007年5月2日 |
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曲尾駅跡。 現在は普通の道路ですが、道端にある標識が目印です。(写真中央やや左) 2009年11月13日 |
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曲尾駅跡にて。 次は終点 傍陽です。 2009年11月13日 |
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以前は、傍陽駅手前に大きな橋脚が残っていた。 | |
傍陽駅手前に残っていた橋台。 | |
2020年現在も健在。 2020年10月4日 |
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◆ 傍陽 | |
傍陽駅跡。傍陽駅の駅舎は廃線後も完全な形で長らく存続し、駅の待合室が上電バス傍陽線の待合室として利用されていた。 | |
残念ながら現在は解体されている。 バス停も通り沿いに移設され、旧駅舎付近へのバスの乗り入れも無くなった。 |
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管理人が廃線跡に興味を持ったのは、この駅の存在が大きい。 SOEHI STATIONと書かれたモダンな駅舎。時代の流れに取り残され、この空間だけ時間が止まったようであった。それなのに、駅舎はバスの待合室として現役で使われ、駅舎の中には最新のバスの時刻表が掲示されていた。 過去の物なのか、今を生きる物なのか、当時まだ幼かった自分には理解が出来ず、体感したことの無い異空間に恐ろしささえ感じていた。 |
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旧傍陽駅の駅舎が取り壊され宅地造成されてからも、当時の繁栄を伝える倉庫が駅跡地を囲うように建っている。 2009年10月1日 |
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